8:16 「ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。
8:17 隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。
8:18 だから、どう聞くべきかに注意しなさい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる。」
昔のともし火というのは、油の入った器に灯芯を浸して、それに火をつけるというものでした。その明かりが広く行き渡るためには、それを机の下に置いたりするようなことはしないで、机の上に置くようにしたことでしょう。
イエス様は、先に種まきのたとえをお話になり、「種は神の言葉である。」と言われました。ここで言われているともし火も神の言葉を表しているということが出来ます。
神様の言葉は、今隠されているのです。神様は教会を通して、またキリスト者を通してみ言葉を語って下さっていますが、多くの人々はそれを聞こうとしません。神様が語りかけてくださっているのに、それに気づかない人がたくさんいるのです。
そうした中でイエス様は、たねまきのたとえを通して、神の言葉を聞く人々の心の状態についてお語りになり、「だから、どう聞くべきかに注意しなさい。」と言われたのです。
祈り
天の父なる神様、種まきのたとえと、ともし火のたとえを通して、あなたのみ言葉を聞くことについて教えてくださり、ありがとうございます。私たちの心を照らす光であるみ言葉が人々の間では隠されていますが、ここに真実の光があることを覚えて、このみ言葉を聞くことが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。