15:1 これらのことの後で、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。「恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」

15:2 アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」

15:3 アブラムは言葉をついだ。「御覧のとおり、あなたはわたしに子孫を与えてくださいませんでしたから、家の僕が跡を継ぐことになっています。」

15:4 見よ、主の言葉があった。「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」

 

アブラハムの生涯において教えられる一つのことは、神がしばしばアブラハムに語りかけ、彼もまたその折々に神の御声を聞き取っていったことかということです。

 

今日の個所においても主の言葉がアブラムに臨んだことが記されています。神はすでにアブラムに、あなたの子孫は地の砂粒のように多くなると言われていましたが、彼はすでに年を取っていて、子供が生まれることはあきらめかけていたように思われます。

 

「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」という言葉には、自分には子供がなくもう年を取っているから家を継ぐのは雇人のエリエゼルになるだろうと考えていたようです。

 

しかし、神は、「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」と言われたのです。今は、40を過ぎると高齢出産と言われて子供を産むリスクが高くなると言われています。そして、50歳を過ぎて子供を産む女性はまずいないでしょう。このころアブラムも年を取っていましたが、アブラムの妻サラも、とっくに60を過ぎていて生理もなくなっていたと思われます。

 

そのような状態のアブラムに、神は子供が生まれることを約束なさったのです。信じ得ないことを信じるようにと求められたのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、当たり前のことを信じることは簡単ですが、常識では考えられないことを信じることは難しいことです。しかし、主なる神を信じるということは人の思いを超えたあなたの御手を信じることであることを今日のみ言葉からも教えられます。アブラハムの信仰に倣って日々を歩むことが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。