27:62 明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、
27:63 こう言った。「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。
明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まってこう言いました。「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります」。
「準備の日の翌日」とありますが、これは週の終わりの日である安息日のことです。安息日、しかも過越の祭りを祝う安息日に、祭司長たちとファリサイ派の人々が異邦人であるピラトのところに集まったとは考えにくいことです。しかし、祭司長たちとファリサイ派の人々があえてそのようなことをしたところに、事の重大さが表れているとも言えます。
彼らは、ピラトを「閣下」と呼んでいますが、これは元の言葉では、「主」とも訳すことのできる言葉(キュリオスの呼格であるキュリエ)です。そのような言葉で、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトに呼びかけているのです(ヨハネ19:15「祭司長たちは、『わたしたちには、皇帝のほかに王はありません』と答えた」)。
祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエス様のことを「人を惑わすあの者」と呼んでいます。イエス様は、弟子たちに世の終わりについて教えられたとき、人を惑わす者が現れると予告しておられましたが、祭司長たちとファリサイ派の人々にとって、イエス様こそが人を惑わす者でした。
祈り
天の父なる神様、祭司長や律法学者たちは、イエス様を「人を惑わす者」だと考え、逆に総督ピラトを「主」と呼んで、ローマ帝国の支配のもとにイエス・キリストを委ねて、自分たちには責任を問われないようにしたことが分かります。神に聞き従うべき宗教指導者たちが、自らの保身のために神を裏切り、かえって神が遣わした人たちを殺害してしまう罪があります。こうしたことは祭司長のみならず、私たちの内にもある罪ではないかと思います。人間の罪の深さと、そのような者を救うために御子をお遣わしくださったあなたの愛を感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。