正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、 キリストが私たちのために死んでくださったことにより、 神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ローマ人への手紙 5章7節、8節
他の人のために自分の命を犠牲にするということは、究極の愛の行為だということが出来ますが、あの人は正しい人だからということで、その人のために自分のいのちを犠牲にすることはまずありません。あるとすれば、自分を深く愛してくれた人に対して、その人の愛のゆえに、その人のために自分のいのちを犠牲にするということは、わずかではあってもあるかもしれません。
災害や事故などに遭遇した時に、親は自分の命を懸けて子供を守るということもあるかもしれません。しかし、家族でもないし、自分の友人でも知人でもない人のために、自分のいのちを犠牲にささげるような人はまずいないのではないでしょうか。
「しかし私たちがまだ罪人であったとき、 キリストが私たちのために死んでくださったことにより、 神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」ここには、「私たちがまだ罪びとであったとき」と言われています。神に背き続ける罪人を愛して、神はこのような救いの恵みを私たちのために用意してくださったのです。
祈り
天の父なる神様、私たちはこれまで、何と神を忘れて自分勝手に、自分中心に暮らしてきたことでしょうか。しかし、そんな私たちのために、あなたはそのひとり子を与えてくださいました。あなたのこれほどの愛が私たちに与えられていることを覚えつつ、あなたの愛にお応えしていくことが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。