実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。ローマ人への手紙10:17
そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。

人が、主なる神を知り、信仰を持つようになるのは、まず聞くことによってだと言われています。誰かからキリストの言葉、聖書の言葉を聞くことがなければ、人は神を知ることも、信仰に導かれることもないということです。

 

私たちの場合もそうだったと思いますが、誰かが、聖書の言葉を聞かせてくれたからこそ、神を知ることが出来るようになりました。

誰でも、ぼんやりとは神様がおられるのではないかという思いを抱いていると思います。

 

「天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示す。」(詩編19:1)と言われているように、この自然を見るとき、その驚くべき秩序と美しさを見るとき、神の御手があることを感じているのではないでしょうか。

 

しかし、ぼんやりとは感じることがあったとしても、聖書によって(特別啓示)教えられなければ、私を創造し、今日も生かしてくださっている神をはっきりと知ることはできないのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、アダムが罪を犯して以来、私たちは、自分の知恵や力で真理を知ることが出来ないものとなってしまいました。人類は様々な事柄を追求し、様々な働きをしてこのような文化を創ってまいりましたが、それはすべてあなたの御手の中で行われてきたことでした。

一人一人の心にあなたのみことばを心から聞くことが出来る思いが与えられますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。