26:36 それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。
26:37 ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。
26:38 そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」
26:39 少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」
イエス様は弟子たちと一緒にゲツセマネというところに来て、弟子たちに「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われました。そして、イエス様は、ペトロおよびゼベタイの子二人を伴って先に進んで行かれました。
ペトロとゼベタイの子であるヤコブとヨハネの三人は、十二人の中でも、イエス様から特に目をかけられた弟子たちでした。17章に記されていた山上の変貌の出来事がありましたが、このときも、イエス様は、ペトロとヤコブとヨハネの三人だけを伴われました。
聖書には、「二人ないし三人の証人の証言によって、その事は立証されねばならない」とありますが、イエス様はペトロとヤコブとヨハネの三人を、これから起こることの証人として伴われたのです(申命19:15参照)。
イエス様は、悲しみもだえ始められて、彼らにこう言われました。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい」。そして、少し進んで行って、うつ伏せになり、こう祈られたのです。
「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」。うつ伏せになって祈るとうは、これ以上できないほど身を低くして祈るということです。
祈り
天の父なる神様、ゲッセマネの祈りは、十字架を翌日に控える中で、父なる神からの裁きを受けるというその苦しみの大きさと、父なる神にどこまでも従いつつ、罪びとを救おうとする愛の極みを伝えています。主の恵みを感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。