13:53 イエスはこれらのたとえを語り終えると、そこを去り、
13:54 故郷にお帰りになった。会堂で教えておられると、人々は驚いて言った。「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。
13:55 この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。
13:56 姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう。」
13:57 このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」と言い、
13:58 人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。
山上の説教の最後にも、「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた」とありますが、ナザレの人々も会堂でのイエス様のお話を聞いて、非常に驚いてこう言ったのです。「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう」。
イエス様は、小さい頃からナザレの村に住んでいました。幼いころからの普通の人間であるイエス様のことを見てきたのでした。この時点ではすでにヨセフは亡くなっていたと思われますが、およそ30歳になるまでは大工として父親であるヨセフの跡を継いで働いてこられました。
けれども30歳ごろになって、いよいよメシアとしての働きをするために、家を出て、荒野の誘惑を受けたり、バプテスマのヨハネから洗礼をお受けになって、聖霊に満たされて、福音を語り、あらゆる病を癒し、悪霊を追い出す働きをしていくようになったのです。
これを見て、ナザレの人々は、「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう。」と、自分たちの常識を超えた働きをなさっているイエス様を見て驚いたのでした。
イエス様の語る言葉を聞き、その働きを見て、これは神様の働きであるとしてイエス様を信じる人たちもおりましたが、ナザレの人々は、自分の考えている常識や枠にとらわれて、イエス様を理解することが出来ず、信じて受け入れることが出来なかったのです。
祈り
天の父なる神様、あなたの恵みによってみ言葉を理解し、まことの救い主を信じて生きることが出来ますことを感謝いたします。私たちの神を私の神として信じ受け入れて生きることが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。