21:13 そのとき、パウロは答えた。「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。」

 21:14 パウロがわたしたちの勧めを聞き入れようとしないので、わたしたちは、「主の御心が行われますように」と言って、口をつぐんだ。

 21:15 数日たって、わたしたちは旅の準備をしてエルサレムに上った。

 21:16 カイサリアの弟子たちも数人同行して、わたしたちがムナソンという人の家に泊まれるように案内してくれた。ムナソンは、キプロス島の出身で、ずっと以前から弟子であった。

 

パウロの歩みは、イエス・キリストの生涯にも似ていることを記しましたが、パウロを取り巻く人々は、彼の安否を心配してエルサレムにはいかないようにと説得しようとした様です。その中には、「パウロがわたしたちの勧めを聞き入れようとしないので、わたしたちは、「主の御心が行われますように」と言って、口をつぐんだ。」と言われているように、使徒言行録を記したルカ自身も含まれていたようです。

 

しかし、パウロはこれが神の御心であることをはっきりと示されていましたので、彼らの言葉を聞いてエルサレムに行くことを断念しようとはしませんでした。「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。」

 

この言葉には、パウロの強い覚悟と信仰を見ることが出来ます。殉教することをも覚悟して前に向かって進んでいく姿は、十字架に向けて歩まれたイエス・キリストの姿と重ね合わせることもできます。

 

祈り

 

天の父なる神様、神に従う時、サタンの妨害や人々からの迫害を受けることがあります。それはちょうど川の流れに逆らって上流に向かって泳いでいくようなものです。人間の努力や能力では不可能と思えるようなことですが、あなたの御手にゆだねて進んでいく時に、心満たされてその実現に向かわせてくださる恵みを感謝いたします。

イエス・キリストの御名によって祈ります。