主を畏れることは知恵の初め/聖なる方を知ることは分別の初め。

わたしによって、あなたの命の日々も/その年月も増す。

あなたに知恵があるなら、それはあなたのもの。不遜であるなら、その咎は独りで負うのだ。箴言9:10~12

 

主がおられなければ、私たちの存在もありませんし、私たちは一瞬たりとも生きていくことが出来ません。すべては主の御手の中で存在を得、その営みを許されているのです。

 

ですから、主を畏れること、主を私の神、私の主として受け入れ、主と共に生きることなくしては、他のすべてのものは意味がありません。

 

「わたしによって、あなたの命の日々も/その年月も増す」と言われているとおりです。その年月は、単にこの世で年齢を重ねるということではなく、まことのいのち、永遠のいのちに生きる者となるように、主イエスは私たちを招いていてくださいます。

 

祈り

 

天の父なる神様、自らを知者とする者ではなく、へりくだり、罪を悔い改めてあなたに信頼し、あなたの御名を畏れるものとならせてください。真実の知恵に生きる者、とこしえのいのちに生きるものとならせてください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。