6:7左右の手に義の武器を持ち、
6:8 栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにもそうしているのです。わたしたちは人を欺いているようでいて、誠実であり、
6:9 人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、
6:10 悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。
8節には、「栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにもそうしているのです。」と言われています。コリントの教会にはパウロを評価する人とそうでない人がおりました。
初代の教会自体がまだ成長期にある教会でしたから、中にはユダヤ主義者と言われる人たちなどは、旧約聖書が教えている割礼をユダヤ人以外のものも受けなければならないと考える人たちなどは、キリストへの信仰のみによって救われると説くパウロの教えを批判していました。
「人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。」
社会的・表面的には、この時代のクリスチャンたちは少数派であり、弱い立場に置かれているように見えましたが、神は彼らを守り、支えてくださって、神の救いの御計画はその御心の通りに実現されていくのです。
祈り
天の父なる神様、真実に神の御声を聞き、それに従おうとする人たちはいつの時代も少数派でした。いつの時代にも神様は「残りの者」と言われる少数の主に従う人たちを与えてくださいました。そのようなもののひとりとしてあなたとともに御霊に守られて歩み続けることが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。