19:10 弟子たちは、「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」と言った。

 19:11 イエスは言われた。「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。

 19:12 結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」

 

 「離縁の正当な理由となるのは配偶者が姦通の罪を犯したときだけである。不法な結婚でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする者は、姦通の罪を犯すことになる。」というイエス様の教えを受けて、弟子たちは、「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」と言いました。

 

そのような弟子たちに対して、イエス様は、「だれもこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである」と言われました。「この言葉」とは、結婚についてのイエス様の御言葉、特に5節、6節のイエス様の御言葉であると思われます。「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」。これが、「この言葉」です。

 

ですから、「この言葉を受け入れる」とは、主にあって結婚し、配偶者と離縁せず、生涯、生活を共にすることなのです。配偶者と生涯、生活を共にすることは、神様の恵みによることなのです。

 

 12節で、イエス様は、結婚に召されていない人たちについても語っています。それは、「結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者、天の国のために結婚しない者」です。イエス様は30歳を越えておられましたが、結婚していませんでした。イエス様も、このどれかの理由のために結婚しなかったのです。

 

「これを受け入れることのできる人は受け入れなさい」と言われました。「これ」とは11節の「この言葉」であり、5節、6節の、「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」という御言葉です。

 

イエス様は、結婚に召されていない人たち以外の人々に、主にあって結婚すること、そして、主が結び合わせてくださった夫婦の関係を生涯全うすることを求めておられるのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたの御心を求めて、御心のうちに生きることが出来ますようにお導きください。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。