8:25 弟子たちは近寄って起こし、「主よ、助けてください。おぼれそうです」と言った。

 

の「弟子たち」の中には、ガリラヤ湖で漁師をしていたペトロとアンデレ、ヨハネとヤコブの四人が含まれていたはずです。ですから、最初、彼らは自分たちで何とかしようとしたと思います。

 

けれども、この漁師たちにも手に負えないような激しい嵐でした。必死になって舟をこいだり、船の中に入ってきた水をかき出したりしたのでしょうが、このままではおぼれてしまうと思った弟子たちは、イエス様をたたき起こして声をかけるのです。「主よ、助けてください。おぼれそうです」

 

私たちも、この人生において嵐に遭遇して、自分ではどうしようもないと思うような事態に遭遇することがあるかもしれません。そんな時、私たちの実情のすべてを知っておられる方があることを聖書は教えているのです。

 

「おぼれそうです」と訳されている言葉は「滅びてしまいそうです」とも訳すことができます。ですから、弟子たちは、イエスさまに近づいて、「主よ、救ってください。私たちは滅びてしまいそうです」という意味に受け止めることが出来ます。このままでは滅びてしまうと思われるような危機をイエス様はご存じであるからこそ、この世界に人としてお生まれになったのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、このままでは滅びてしまうというような危機的な状況にあって、その危機さえも自覚できない私たちのためにひとり子であるイエス・キリストをお遣わしくださった恵みを感謝いたします。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。