女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」」ヨハネによる福音書4:11~14
「あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生ける水を手にお入れになるのですか」とあります。ヤコブの井戸は深かったのです。
人間の性質の深み、人間のいのちの深み、あなた自身のうちにある「井戸」の深みについて考えてみましょう。
「人によく思われたい。」「自分の罪や失敗、弱さは知られたくない、見たくない」という思いの中で、自分をごまかして演技をする中で、本当の自分が分からなくなってしまった、という人がいます。自分自身の「深み」についてあなたはよく理解、自覚しているでしょうか。
あるいは、主イエスが何もすることができないと考えることによって、彼の働きを貧弱なものとしているということはないでしょうか。あなたの心のうちに、測り知れない深い悩みの井戸があるとします。そこヘ主イエスが来られて、「あなたの重荷を降ろしなさい」と言われても、あなたは、「しかし主よ、わたしの井戸は深いのです。しかも涸れてしまっています。あなたはこの井戸から、何のよいものもくみ出すことはできないでしょう」と言うかもしれません。
しかし、主イエスがあなたの深い井戸を渇くことのないいのちの水で満たすことが出来るお方であることに気づく必要があります。「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」(マタイ19:26)のです。主は、あなたの井戸がどんなに深くても、あなたに必要なものをご存知で、あなたに最も必要なものを与えてくださいます。
祈り
天の父なる神様、「この水を飲む者はだれでもまた渇く。」(4:13)と言われているように、私たちはいくら水を飲んでも渇いてしまう者です。しかし、あなたは、いつまでも渇くことがないいのちの水を持っておられて、それによってわたしの渇きのすべてを潤してくださいます。どれほどに深い渇きも、罪をも赦し、癒してくださいます。いのちの源であるお方との確かな交わりの中で生きる者とならせてください。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。