「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り/主の栄光はあなたの上に輝く。見よ、闇は地を覆い/暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で/主の栄光があなたの上に現れる。」イザヤ書60章1節

起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。(新改訳)

 

「見よ、闇は地を覆い/暗黒が国々を包んでいる。」今のこの時代、この世界を見るとき、連日暗いニュースが報道されています。殺人事件や戦争、離婚や汚職、神をあがめる人は少なく、人々はかってのイスラエルのように偶像礼拝や私利私欲のために日々を送っているように思われます。

 

暗闇とは、真実を覆い隠すものです。そのために人々は、自分の命を生かしてくださっている神の恵みを見失い、行くべき道が分からないままに右往左往している状態です。しかし、そこに光が照り輝くようになると、見えていなかったものが見えるようになり、真実が明るみに出てくるようになります。

 

「起きよ、光を放て」と言われていますが、私たちが放つ光は、月の光のようなものです。月は太陽の光を受けて反射しているものですが、私たちは、自分自身のうちから光を放つのではなく、神の光を受けてそれを反射させることが出来ます。そのためには、神の光を自分自身のうちに受け取るものでなければなりません。

 

ヨハネによる福音書3章20節には、「悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」(ヨハネ3:20~21)と言われています。「悪を行なう者は皆」とありますが、実際は「皆が悪を行なう者である」ということなのではないでしょうか。

 

しかし、そのような悪を行なう者を招くために主イエスは来て下さいました。自らの罪を自覚し、自らの弱さを自覚し、それゆえに神により頼む者としてくださるのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたは私たちのすべてをご存知であり、罪の中にある私たちは常に悪を行い、光の下に行こうとはしない者であることを知るがゆえに、そのような私たちを救うためにイエス・キリストをお送りくださったことを感謝いたします。罪人の私を憐れんでください。そして、ただあなたの恵みによりすがって、聖霊によってまったく新しくされますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。