1:6 さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。

使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねました。その後ペトロは、これは預言者ヨエルを通して言われていたことであると説教をいたします。2章16節から17節には 「これこそ、預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。『神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。』」

ここで、「終わりの時」とあるように、聖霊、神の霊が与えられるということは、終わりの時のしるしでした。ですから、イエス様から、「あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられる」と聞いたとき、使徒たちは、とうとう終わりの時を迎えたと考えたことでしょう。

その終わりの時に起こることはイスラエルの国が建て直されることでした。イスラエルが再び栄光を取り戻すことです。アモス書の9章11節には、「その日には/わたしはダビデの倒れた仮庵を復興し/その破れを修復し、廃墟を復興して/昔の日のように建て直す。」と言われています。

このように、アモスの預言がありましたから、使徒たちが、イエス様が、イスラエルの国を立て直してくださると期待したのです。このような期待は、実はイエス様が復活される以前からありました。ルカによる福音書の19章11節には、「人々がこれらのことに聞き入っているとき、イエスは更に一つのたとえを話された。エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたからである。」と言われています。

イエス様がエルサレムに近づいておられたので、人々は神の国はすぐにでも現れるものと思っていたのです。ダビデの子と噂されるイエス様が、エルサレムで王として君臨されるのではないか。そして、イスラエルをローマ帝国の支配から解放し、神の支配を打ち立ててくださるのではないか。そのように人々は期待していたのです。

このような期待は、イエス様の弟子たちにもありました。ルカによる福音書24章21節には、「わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。」と言われています。

この弟子たちの望みも、イスラエルがローマ帝国の支配から解放されることでした。神の民と自認するイスラエルの人々にとって、神を知らない異邦人に支配されることは、耐えられないことでした。イスラエルを治めるのは、ただ主なる神であるべきだと多くの人々は考えていたのです。

そのように人々が期待している中にあって、イエス様は十字架の死からよみがえられたのです。ですから、使徒たちが「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねたのもうなづけます。ここで「国」と訳されている言葉は、「王国」という言葉です。

つまり、「よみがえられたイエス様が、王として君臨してくださり、イスラエルのために王国を再興してくださるのは、この時ですか」と使徒たちは尋ねたのです。

祈り

天の父なる神様、旧約聖書にはメシアが来て、永遠に滅びることのない国を再興してくださることが預言されています。まだその時は来ていませんが、再臨の時この預言が実現される時が来ます。その時にはとこしえの平和がもたらされます。この希望を抱きつつ、再臨を待ち望む信仰を持って生きることが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。