夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。ローマ人への手紙13:12-14
夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。(新改訳)

 

「朝の来ない夜はない」という言葉もありますが、私たちは毎日、朝と夜の繰り返しの生活を送っています。これも神が与えてくださった秩序に基づいて、そのように毎日が繰り返されています。それも神の恵みによって与えられるものですが、今日の聖句で、「夜は更け、日は近づいた。」というのは、人類(アダム)が罪を犯して、堕落し、この世界が闇の世界に包まれて以来、ようやくイエス・キリストによってこの夜の期間が終わろうとしているということを示唆しています。

 

「遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしよう」と言われていますが、現在もなお、ここに記されているような闇のわざがあらゆるところで行われています。これはサタンがこの世界に君臨している夜の間に行われることです。

 

しかし、このような夜の期間はやがて終わりを迎えます。そして、主イエスによって与えられる新たな朝は、もはや罪も、傷も、シミも、苦しみも、痛みもない、完全に夜のものは駆逐された新しい世界なのです。新しい朝の様子が、ヨハネの黙示録には次のように記されています。

 

「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」」(ヨハネの黙示録21:1~4)

主イエスが私たちにもたらしてくださる朝に向けて、私たちも闇の業を捨てて、(希望を抱いて)神の御心に生きるように、昼のわざを行うように、歩んでいきたいと思います。

 

祈り

 

天の父なる神様、夜は過ぎ去り、やがて朝が来ることを教えてくださり、ありがとうございます。朝が来ることは当たり前のことではなく、あなたが、主イエスによってもたらしてくださったあがないの故であることを覚えて感謝いたします。生涯、あなたの恵みのうちに歩ませてください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。