37:5 ヨセフは夢を見て、それを兄たちに語ったので、彼らはますます憎むようになった。

37:6 ヨセフは言った。「聞いてください。わたしはこんな夢を見ました。

37:7 畑でわたしたちが束を結わえていると、いきなりわたしの束が起き上がり、まっすぐに立ったのです。すると、兄さんたちの束が周りに集まって来て、わたしの束にひれ伏しました。」

37:8 兄たちはヨセフに言った。「なに、お前が我々の王になるというのか。お前が我々を支配するというのか。」兄たちは夢とその言葉のために、ヨセフをますます憎んだ。

37:9 ヨセフはまた別の夢を見て、それを兄たちに話した。「わたしはまた夢を見ました。太陽と月と十一の星がわたしにひれ伏しているのです。」

37:10 今度は兄たちだけでなく、父にも話した。父はヨセフを叱って言った。「一体どういうことだ、お前が見たその夢は。わたしもお母さんも兄さんたちも、お前の前に行って、地面にひれ伏すというのか。」

37:11 兄たちはヨセフをねたんだが、父はこのことを心に留めた。

 

小学生の子供たちに、「あなたの夢は何ですか」と尋ねると子供たちはそれぞれにいろんな夢を語ってくれます。しかし、そうした思いは大人になると無くなっていく方が多いように思われます。あなたはどんな夢を持っておられますか。ヨセフは、夢を解き明かすことのできる人でした。

 

ある日、ヨセフはこんな夢を見ました。これは単なる夢ではなく、将来起こることを暗示する夢だったのです。「畑でわたしたちが束を結わえていると、いきなりわたしの束が起き上がり、まっすぐに立ったのです。すると、兄さんたちの束が周りに集まって来て、わたしの束にひれ伏しました。」

 

さらに、「わたしはまた夢を見ました。太陽と月と十一の星がわたしにひれ伏しているのです。」という、兄たちと父や母がヨセフにひれ伏すようになるという夢です。これはやがて現実になるのですが、兄たちはこれを聞いてヨセフに腹を立てました。

 

これまで私たちは、アブラハム、イサク、ヤコブの生涯を通して神がともにおられるという恵みを教えられてきました。創世記の終わりの部分では、神がヨセフと共におられるという在り方について、これを神からの私たちへのメッセージとして受け止めることが出来ます。

 

祈り

 

天の父なる神様、あらゆる生き物のうちで、人間だけが夢を描くことが出来、信仰と希望を持って生きる者とされています。年齢にかかわらず、年老いても希望を持って、夢を描いて生きることが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。