18:12 あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。

 18:13 はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。

 18:14 そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」

 

ここにはイエス様が、「迷い出た羊」のたとえ話をしたことが記されています。旧約聖書では、神様が羊飼いに、神の民であるイスラエルが羊の群れにたとえられています。これと同じようなたとえ話がルカ福音書の15章にも記されています。

 

ルカによる福音書では、九十九匹が残される場所が「野原」ですが、マタイ福音書では、「山」になっています。マタイ福音書において「山」はイエス様から教えを受ける場所であり、復活のイエス様と出会う場所です。

 

ですから、「山」はイエス・キリストを信じる者たちの群れである「教会」を表していると考えることもできます。イエス様は、「迷い出た羊のたとえ」を通して、教会の交わりから、主にある兄弟姉妹の一人が迷い出てしまったら、私たちがどうすべきであるのかを教えておられるのです。

 

その一人の迷い出た人を捜し出すように、全力を尽くすべきであることを教えておられるのです。「はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう」と言われました。

 

私たちは、日曜日にキリストの教会として集まり、礼拝をささげていますが、これまで当然のように礼拝に来ていた人が来なくなってしまったとき、私たちの心にその人が再び教会に来て、一緒に礼拝をささげることができるようにとの祈りが生まれてきます。

 

教会の礼拝に集うことが出来なくなった理由はいろいろとあるでしょう。神様との出会いを大切に思わなくなってしまう人もあれば、事故に遭ったり、御高齢になって集うことが困難になる方もおられると思います。

 

いずれの場合でも、イエス様はそのような人が神様のもとに戻ることが出来るように全力を尽くすことを求めておられるのです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」からです(ヨハネ3:16)。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたのもとから離れてしまった人が、再びあなたのもとに帰ることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。