15:8 「あるいは、ドラクメ銀貨を十枚持っている女がいて、その一枚を無くしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて捜さないだろうか。

15:9 そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』と言うであろう。

15:10 言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」

 

次に言われているのは、銀貨1枚を無くした人が、「ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて捜さないだろうか。」と言われています。ドラクメ銀貨1枚は、1デナリオンと同じだと言われていますから、1枚の銀貨は、7000円ほどの価値と言えるでしょう。

 

7000円ほどの銀貨が失われたら、私たちも探すだろうとは思いますが、それを見つけるために家中を掃除して、見つけるまで捜すでしょうか。これも前の1匹の羊と同じように、失われたのは仕方がないと言ってそのうちに諦めてしまうのではないでしょうか。

 

しかし、神様は、見つけるまで捜し歩くに違いないと言われるのです。神を離れている一人の人のために、たとえ、ひとりだけが神を離れていたとしても、そのひとりが帰ってくるまで捜し回らないだろうかと言われるのです。

 

そして、見つかった時には、友達や近所の女たちを呼び集めて、『無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』と言ってその喜びを表すに違いないと言われるのです。

 

このみ言葉によって、失われた一人の人に対する神様の御心が示されているのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、私たちは、あなたによって創造され、あなたによって生かされている一人一人です。けれども生かされておりながらあなたのもとを離れてしまっている多くの人があります。1枚の銀貨を見つけるまで捜す人のたとえを通して、神様は一人の失われた人を見つけるまで捜し歩くお方であることを教えてくださいました。立ち帰るべきところに帰ることが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。