彼自身は荒れ野に入り、更に一日の道のりを歩き続けた。彼は一本のえにしだの木の下に来て座り、自分の命が絶えるのを願って言った。「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません。」彼はえにしだの木の下で横になって眠ってしまった。御使いが彼に触れて言った。「起きて食べよ。」見ると、枕もとに焼き石で焼いたパン菓子と水の入った瓶があったので、エリヤはそのパン菓子を食べ、水を飲んで、また横になった。1列王記19:4~6
自分は荒野へ一日の道のりをはいって行った。彼は、えにしだの木の陰にすわり、自分の死を願って言った。「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」
彼がえにしだの木の下で横になって眠っていると、ひとりの御使いが彼にさわって、「起きて、食べなさい。」と言った。彼は見た。すると、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水のはいったつぼがあった。彼はそれを食べ、そして飲んで、また横になった。(新改訳)
エリヤがバアルの預言者たちに勝利した後、王妃イゼベルが彼の命を狙っていることを知り、恐れて逃げてきた時のことです。
バアルの預言者に立ち向かって勝利を収めたエリヤは、その出来事を見る限りでは、とても勇敢で信仰深い預言者に思われますが、その直後にはイゼベルを恐れて逃げ出してしまうのです。
こうした姿を見るとき、私は、主イエスが十字架にかかられる時、「ペトロが、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」(マタイ26:33)と言った。」にもかかわらず、いざというときには逃げ出してしまったあの弟子たちの姿を思い起こします。
それは私たちも同じではないでしょうか。神を信じる信仰はあっても、時に失望落胆したり、自分の無力を痛感したり、神への思いよりも不安や恐れが自分の心を占めるようになることもあるのではないでしょうか。
しかし、そのような時にも神は私たちをご覧になり、私たちの心の思いのすべてを受け止めていてくださいます。そして、エリヤのように呼びかけてくださいます。彼は、「起きて食べよ。」という御使いの声を聞きました。
見ると、枕もとに焼き石で焼いたパン菓子と水の入った瓶があったので、エリヤはそのパン菓子を食べ、水を飲んで、また横になったのです。神は私たちの必要のすべてを知っておられて、それを満たしてくださるお方です。こうして彼はおなかを満たされ、さらに恐れによって絶望的になっている彼の心にも、神は続いて語りかけられ、彼に新たな使命をお与えになるのです。
様々な弱さを持つ私たちですが、神は私たちをご覧になり、みことばを通して私たちに呼びかけてくださいます。みことばを聞き続けることの大切さを教えられます。
祈り
天の父なる神様、私たちもエリヤのように失意の中で心が落ち込み、恐れと絶望感が心を占めてしまうこともありますが、どのような時にもあなたの御手にわたしの思いを向けることが出来ますように。すべてを委ねる信仰を与えてください。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。