1:23 神を証人に立てて、命にかけて誓いますが、わたしがまだコリントに行かずにいるのは、あなたがたへの思いやりからです。
1:24 わたしたちは、あなたがたの信仰を支配するつもりはなく、むしろ、あなたがたの喜びのために協力する者です。あなたがたは信仰に基づいてしっかり立っているからです。
コリントの教会の中には、パウロの言葉は不誠実であり信用できないと考えている人たちもいたようです。パウロが使徒であることを疑う人たちもいました。彼の愛するテモテをコリントに遣わしたとき、テモテがないがしろにされたこともあったようです。
そのためにパウロは、直接コリントに行く必要を感じており、コリントを訪ねる計画を立てていました。1コリント人への手紙4章には次のように記されています。
「テモテをそちらに遣わしたのは、このことのためです。彼は、わたしの愛する子で、主において忠実な者であり、至るところのすべての教会でわたしが教えているとおりに、キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方を、あなたがたに思い起こさせることでしょう。わたしがもう一度あなたがたのところへ行くようなことはないと見て、高ぶっている者がいるそうです。しかし、主の御心であれば、すぐにでもあなたがたのところに行こう。そして、高ぶっている人たちの、言葉ではなく力を見せてもらおう。」(1コリント4:17~19)
19節に、「主の御心であれば、すぐにでもあなたがたのところに行こう。」と言われているように、自分が遣わしたテモテがないがしろにされて帰ってきたことを受けて、彼はすぐにでもコリントの教会に行こうと考えていたのです。
神はご自分の最も大切な「宣教の務め」を、こともあろうに愚かで弱く罪や過ちをおかしやすい人間を通して、福音が全世界に広がることを願われたのです。神は宣教と言う愚かな手段によって信じる者を救うことを選ばれました。神は私たちを愛し共に働くことを喜んでおられます。
世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。(1コリント1:21)
祈り
天の父なる神様、あなたはパウロなどの人々を通してあなたの御心を実現してくださいますが、人間には様々な弱さがあり、あなたの御心を行うには不十分な面があります。それにもかかわらず私たちを用いてくださる恵みを感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。