また、/「異邦人よ、主の民と共に喜べ」と言われ、更に、/「すべての異邦人よ、主をたたえよ。すべての民は主を賛美せよ」と言われています。また、イザヤはこう言っています。「エッサイの根から芽が現れ、/異邦人を治めるために立ち上がる。異邦人は彼に望みをかける。」希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。ローマ15:10~13

 

また、こうも言われています。「異邦人よ。主の民とともに喜べ。」さらにまた、「すべての異邦人よ。主をほめよ。もろもろの国民よ。主をたたえよ。」さらにまた、イザヤがこう言っています。「エッサイの根が起こる。異邦人を治めるために立ち上がる方である。異邦人はこの方に望みをかける。」どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。(新改訳)

 

今日のみ言葉も、異邦人の救いが、すでに旧約の時代から神の約束として語られていたことを伝えています。10節は申命記32章43節からの引用です。「国々よ、主の民に喜びの声をあげよ。主はその僕らの血に報復し/苦しめる者に報復して、その民の土地を贖われる。」(申命記32:43)申命記32章は、約束の地を前にしてモーセは天に召されますが、その直前に彼が書いたものです。

 

「国々よ、主の民に喜びの声をあげよ。」という言葉を用いて、モーセも、アブラハム契約がやがてあらゆる国々の民にも成就するときが来ることを預言しているのです。詩編117編にも、「すべての国よ、主を賛美せよ。すべての民よ、主をほめたたえよ。主の慈しみとまことはとこしえに/わたしたちを超えて力強い。ハレルヤ。」(詩編117:1~2)と言われています。

 

すべての国々(の民)に対して、主をほめたたえよと呼びかけています。なぜなら、「主の慈しみとまことはとこしえに/わたしたちを超えて力強い。」からです。

パウロはまた、イザヤ書11章10節を引用して、「その日が来れば/エッサイの根は/すべての民の旗印として立てられ/国々はそれを求めて集う。そのとどまるところは栄光に輝く。」(イザヤ11:10)エッサイの子孫から、救い主が生まれることを預言していますが、これもその言葉の通りに、アブラハム→エッサイ→ダビデへと続いていく血筋からイエス・キリストはお生まれになりました。

 

イザヤ書11章には、これ以外にもメシア預言が語られていますが、メシアはダビデの家系から生まれること(1節)、メシアは神を喜び、義なる裁き主となり、その地には平和をもたらされること(3~9節)、そして異邦人には救いをもたらされること(10節)が預言されています。メシアについての預言はまだたくさんありますが、こうした預言が実現されてきたことは、その後の歴史が物語っている通りです。神は、その言われたことを必ず実現されるお方です。

 

「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。」これは、私が出会うあらゆる人にこの祈りをささげたいという思いがあります。今日日本人が最も必要としているのは確かな「希望」ではないでしょうか。確かな、揺らぐことのない「希望」は、希望の源であるお方によって与えられるのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、聖書は救いの歴史を伝えていますが、聖書の預言された約束のみ言葉がこの歴史の中に実際に実現していることを覚えて御名をたたえます。「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。」

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。