12:49 「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。
12:50 しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。
イエス・キリストは、私たち罪人を招いてその罪を赦し、神との関係を正常なものにするために来てくださいました。そのためには、この世界にある闇の力、悪の力に追従している者を裁くということが必ず必要となるのです。
裁きと解放が同時に起こるということです。この世界は、今やサタンが支配する世界になってしまっているからです。捕虜になっている人を解放するためには、捕虜をとらえている犯人との争いが必要となるのです。罪と死に捕らわれている人たちを解放するためには、サタンやそれに追従している者との戦いや裁きということがどうしても生まれてきます。
地上に火を投ずるとは、権威をもって悪を裁くということを意味しています。これはキリストの再臨の時に文字通り成就することですが、初臨のキリストは、罪人が受けるべき罪の裁きをキリストご自身が身に受けて死んでくださいました。
このように神の救いの御業は、この罪と悪の世界に裁きをもたらすものでもあるのです。
祈り
天の父なる神様、聖書の救いの歴史は、裁きと解放が同時に行われていくものです。あなたの愛と義が行われ、あなたの御名があがめられ、御心が行われますように。御国が来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。