9:18 イエスがこのようなことを話しておられると、ある指導者がそばに来て、ひれ伏して言った。「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」

 

イエス様が大勢の徴税人や罪人と食事をなさり、バプテスマのヨハネの弟子たちと問答していると、ある指導者がそばに来て、ひれ伏して言いました。「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう」。

 

これは、驚くべき信仰です。この指導者は、娘あんが今にも死にそうな時にやってきて、「どうか、手を置いて癒してください」と言ったのではなくて、「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手をおいてやってください。そうすれば、生き返るでしょう」と言ったのです。

 

この指導者は、イエス様が病人を癒すことができるだけではなく、死人をも生き返らせることができると信じたのです。この人はなぜ、このような信仰を持つことが出来たのでしょう。それは聖書に親しみ、神様がどのようなお方であるのかを知っており、イエス様が神によって遣わされたお方であることを信じたからです。

 

旧約聖書を見ると、列王記上の17章にエリヤがサレプタのやもめの一人息子を生き返らせたことが記されています。また、列王記下の4章にエリシャがシュネムの婦人の一人息子を生き返らせたことが記されています。この人はこのような聖書の言葉によって神を知り、イエス様の言動を見て、死者を復活させてくださるお方であると信じたのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、私たちを創造し、今日もこの世界をすべ治めておられる神様のことを知り、確かな信仰をもって生きることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。