11:17 次のことを指示するにあたって、わたしはあなたがたをほめるわけにはいきません。あなたがたの集まりが、良い結果よりは、むしろ悪い結果を招いているからです。

 11:18 まず第一に、あなたがたが教会で集まる際、お互いの間に仲間割れがあると聞いています。わたしもある程度そういうことがあろうかと思います。

 11:19 あなたがたの間で、だれが適格者かはっきりするためには、仲間争いも避けられないかもしれません。

11:20 それでは、一緒に集まっても、主の晩餐を食べることにならないのです。

 

コリントの教会には「仲間割れ」があったようです。具体的にどのような者であったのかは分かりませんが、教会は、イエス・キリストにあってひとつになる共同体であるはずです。

 

ところが、こともあろうに教会において仲間割れが生まれていたのです。「それでは、一緒に集まっても、主の晩餐を食べることにならないのです。」と言われています。

 

当時のキリスト教会は、まだ生まれて間もないということもあり、厳しい迫害が行われていることもあって公に会堂を建てて礼拝をおこなうという事ではありませんでした。信徒の中でも大きな家を持っている人のところで礼拝が行われ、一緒に食事にあずかり、その中で聖餐も行われていたのです。

 

礼拝は、信仰者たちの交わりという面が非常に強かったということが出来ます。そうした中で仲間割れがあるという事は、非常に大きな問題でした。

エフェソの手紙4章には次のように言われています。

 

 体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。(エフェソ4章4~6節)

 

 

祈り

 

天の父なる神様、一人の神によって造られた私たちは、このお方によって心を一つにして生きるべく造られたのでした。そのように生きることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。