5:4 悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。

 

多くの人々は、悲しむ者は不幸だと考えるのではないかと思います。ところが、イエス様は、「悲しむ人々は、幸いである」と言われました。それは「心の貧しいものは幸いである」という言葉にしても同じことが言えるように思われます。

 

イエス様が言われる悲しみは、心の貧しい人々の悲しみです。言い換えるならば、心の貧しい人々とは悲しむ人々でもあるのです。ここで「悲しむ人々」と言われているのは、何よりも「自らの罪に悲しむ人々」です。

 

私たちが神様の御前により頼むもの、誇るものを何一つ持たない、心の貧しい者として立つとき、そこで悲しまざるを得ないのは、私たちが神様の御心に従うことのできない罪人であるということです。パウロは、ローマ書7章において「わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。」(ローマ7:18~19)と述べています。

 

そのように自分の罪深さを嘆くもの、そのような悲しみを実感しているものは幸いだと言われました。そのような人をイエス様は神の国へと招いて下さり、慰めてくださるからです。

 

祈り

 

天の父なる神様、悲しむ者を慰めてくださる恵みを感謝いたします。あなたの恵みのうちを歩み続けることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。