慈しみとまことがあなたを離れないようにせよ。それらを首に結び/心の中の板に書き記すがよい。

そうすれば、神と人の目に/好意を得、成功するであろう。

 

慈しみは、憐れみと言い換えてもよいでしょう。主イエスは慈しみ深い方であり、憐れみ深いお方です。福音書には、「かわいそうに思う」主イエスの姿が至る所に見受けられます。

 

また、ヨハネの福音書1章14節には、「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理(まこと)に満ちていた。」と言われています。主イエスは恵みとまことに満ちておられるお方です。

 

まことは真理と訳すことも出来る言葉ですが、真実の意味で真理は一つしかないものです。裁判で証言をする人は、時として偽りを語ることもあるようですが、ウソ発見器にかけると嘘偽りを語るときには心の動揺が見られるそうです。100%偽りがないこと、これは100%汚れがないこと、ほんのわずかの心の揺らぎさえもなく無垢な状態であることです。

 

神は(救いの)約束を必ず実現なさるお方ですが、ヨハネ1章17節には、「律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理(まこと)はイエス・キリストを通して現れたからである。」「恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである(新改訳)」と言われています。

 

つまり、慈しみとまことは、イエス・キリストによってもたらされるのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、慈しみとまことはあなたと主イエスによってもたらされるものです。私たちもキリストにあって、キリストによって慈しみとまことの心に生きることが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。