16:23 そして、何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じた。
16:24 この命令を受けた看守は、二人をいちばん奥の牢に入れて、足には木の足枷をはめておいた。
16:25 真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。
16:26 突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった。
16:27 目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとした。
私たちは、おそらく鞭で打たれたり投獄されたりするような経験をしたことはあまりないのではないかと思います。戦争を経験した方などはそういうこともあると思いますが、戦後70年以上平和が続いてきたのはありがたいことです。
パウロたちの場合は、戦争があったわけではなく、利益を奪われたことの腹いせに鞭で打たれ投獄されてしまったのでした。こうしたことの背後にもサタンの策略があると思われます。
今でも、何もしていなくても罪に問われて拷問を受けたり、投獄される人たちがあることを思います。この世の権力者と言われる人たちはその権力を使って分からないように言論を弾圧したり、自分たちの利益のために人殺しさえしてしまうことがあります。
「主よ、来たりませ」と再臨の主が来られるのを待ち望みつつ、この世にあって主の御心のうちに生きることが出来ますように祈る者です。
祈り
天の父なる神様、パウロたちは投獄されてしまいましたが、突然大きな地震が起こり、牢屋の扉がすべて開き、囚人たちの鎖も外れました。不思議なことが起こりましたが、こうした出来事の中に、パウロたちが神に導かれていることが分かります。主がともにおられる人生を生きることが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。