5:33 人々はイエスに言った。「ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。」

5:34 そこで、イエスは言われた。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか。

5:35 しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その時には、彼らは断食することになる。」

 

現代の日本でも、ダイエットや健康のために断食をする方々がおられますが、イスラエルにおいて断食は特別な意味がありました。神様がイスラエル国民に与えた律法には,年ごとの贖罪の日に断食を行なうようにとの命令が含まれていました。 (レビ記 16:29-31)その時に断食するのはふさわしいことでした。そうすることで,イスラエル人は自分たちが不完全で,神様の許しを必要としていることを思い起こすことができたからです。

 

過去に犯した罪を悔い改めるために、神は不忠実なイスラエル人に,「あなた方は心をつくし,断食と涙とどうこくとをもってわたしに帰れ」と言われました。(ヨエル 2:12-15

 

あるいは、エルサレムまで旅する人々は,神様の助けを心から求めていることを示すために断食(エズラ 8:21-23)することもありました。このように事あるごとに断食を行って神に立ち帰ることが求められたのです。

 

主イエスは、弟子たちも断食するように求められた時、「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その時には、彼らは断食することになる。」と言われました。

 

ここでは断食を否定しておられるのではありません。ここでイエス様はご自分が来られたことを結婚に例えておられますが、結婚というのは、人生の一大イベントです。とくにこの二千年前の当時は、結婚披露宴が盛大におこなわれました。この世に主がおられるときは、花婿が花嫁とともにおられるのと同じことではないか、この喜ばしい時には断食はふさわしくないと言われたのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたがもたらしてくださった福音=よきおとずれは、罪人がその罪を赦されて神と共に生きることが出来るようになるという大いなる恵みをもたらすものでした。この福音の恵みのうちに歩み続けることが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。