24:25 そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、

24:26 メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」

24:27 そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。

 

二人の弟子たちは、この時点では、話している相手がイエス様だとは思っていませんでしたが、この時イエス様は、「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」と言われ、「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。」と言われています。

 

旧約聖書は、イエス・キリスト(による救い)について教えているものですから、旧約聖書に精通しているならば、当然イエス・キリストのあのご生涯を見れば、この方こそが私たちの救い主(メシア)であることが分かるはずなのです。

 

けれども、律法学者やファリサイ人たちが教える旧約聖書の理解は、正確にイエス・キリストによる救いを表すような理解ではなかったようです。むしろ、実際にはその逆で、メシアが来た時にもその誕生を喜ぶこともなく、かつて預言者たちが迫害されたように神の御子であるキリストも迫害されるようなことになってしまいました。

 

祈り

 

天の父なる神様、イエス様の十字架と復活に関して不可解な思いを持っていた弟子たちに対して、イエス様は、「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明」してくださいました。彼らはこの時点では、旧約聖書の教えをまだ理解できていませんでしたが、キリストとの出会いによって、聖霊に導きによって新しい境地に導かれていきました。あなたによって新たにされる恵みに生きることが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。