26:57 人々はイエスを捕らえると、大祭司カイアファのところへ連れて行った。そこには、律法学者たちや長老たちが集まっていた。
26:58 ペトロは遠く離れてイエスに従い、大祭司の屋敷の中庭まで行き、事の成り行きを見ようと、中に入って、下役たちと一緒に座っていた。
26:59 さて、祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にしようとしてイエスにとって不利な偽証を求めた。

大祭司カイアファの屋敷において、最高法院によるイエス様の裁判が行われました。59節には、「さて、祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にしようとイエスにとって不利な偽証を求めた」と記されています。すでに夜になって最高法院によるイエス様の裁判が行われています。

裁判は昼に、また公の場所で行われるのが普通でありますが、イエス様の裁判は、捕らえられた夜に、大祭司カイアファの屋敷で行われたのです。しかも、裁判をする前から、イエス様を死刑にすることは決定済みだったのです。

ここで、「不利な偽証を求めた」とあります。イエス様は罪のないお方であり、何一つ罪のないお方ですから、イエス様にとって不利な証言をしようとすれば、偽りの証言とならざるを得ないのです。旧約聖書のレビ記19章15節に、「あなたは不正な裁判をしてはならない。あなたは弱い者を偏ってかばったり、力ある者におもねってはならない。同胞を正しく裁きなさい。民の間で中傷をしたり、隣人の生命にかかわる偽証をしてはならない。わたしは主である」とありますが、最高法院によるイエス様の裁判は、この主の御心から遠く離れた形式的なものだったのです。

偽証人は何人も現れましたが、死刑はおろか、イエス様を罪に定めるような証拠は得られませんでした。イエス様にとって不利となる一致した証言を得ることはできなかったのです。最後に二人の者が来て、「この男は、『神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる』と言いました」と告げました。

この証言については偽証であるとは記されておりません。それはこの二人の証言が悪意によって歪められたものであっても、そこにはイエス様の御言葉が含まれていたからであると思われます。イエス様が、「神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる」という言葉を文字通りに言ったのではないにしろ、その元にはイエス様の御言葉があったと考えられるのです。

「神の神殿を打ち倒し」という言葉について言えば、イエス様は、弟子たちにエルサレム神殿が崩壊することを予告しておられました。また、「神の神殿を・・・・・・三日あれば建てることができる」という言葉については、ヨハネによる福音書の2章を見ると、イエス様が御自分の体を指して、「この神殿を壊してみよ。三日で立て直してみせる」と言われたことが記されています。

イエス様は御自分が神殿を壊すとは言われておりませんが、二人の証人たちは、イエス様が「神殿を壊すことができる」と言ったとイエス様の言葉を歪めて証言したのです。神殿に敵対する言葉を語ったという証言は、イエス様にとって不利な証言でありました(エレミヤ26:1~11参照)。そこで、大祭司は立ち上がり、イエス様にこう言うのです。「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか」。しかし、イエス様は黙り続けておられました。イエス様は御自分について弁護されることなく、黙り続けておられたのです。旧約聖書のイザヤ書53章7節に、「苦役を課せられて、かがみ込み/彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように/毛を刈る者の前に物を言わない羊のように/彼は口を開かなかった」とありますが、イエス様はイザヤ書53章に預言されている主の僕として、黙り続けておられたのです。

祈り

天の父なる神様、イエス様は裁判にかけられましたが、それは裁判といえるようなものではなく、弁護人もおらず、初めから結論が出ているような一方的な偽証による不当な判決によるものでした。しかし、何の反論もすることなく、屠り場に引かれる小羊のように黙々となすがままにさせられました。罪びとの立場に身をおいて、私たちの罪を贖って下さるあなたの恵みを感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。