26:60 偽証人は何人も現れたが、証拠は得られなかった。最後に二人の者が来て、
26:61 「この男は、『神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる』と言いました」と告げた。
26:62 そこで、大祭司は立ち上がり、イエスに言った。「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか。」
26:63 イエスは黙り続けておられた。大祭司は言った。「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。」
26:64 イエスは言われた。「それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、/人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に乗って来るのを見る。」
26:65 そこで、大祭司は服を引き裂きながら言った。「神を冒涜した。これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は今、冒涜の言葉を聞いた。
26:66 どう思うか。」人々は、「死刑にすべきだ」と答えた。

大祭司は、二人の人が「『神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる』と言いました」と告げた。」のを聞いて、これは神を冒涜する発言だと断定しました。そしてイエス様に、「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか」と尋ねました。

この大祭司の言葉はどこか唐突な気がしますが、この背景には、来るべきメシアが神殿を建て直すという当時のユダヤ人たちの期待があります。旧約聖書のゼカリヤ書6章12節には、「万軍の主はこう言われる。見よ、これが『若枝』という名の人である。その足もとから若枝が萌えいでる。彼は主の神殿を建て直す」と言われています。

このところから、「若枝」と言われている約束のメシアが神殿を建て直し、エゼキエル書40章以下に預言されている神殿が完成されると期待されていたのです。ですから、二人の証言、「この男は、『神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる』と言いました」という証言は、言い換えれば、「イエス様が『自分は神殿を建て直す若枝、メシアである』と言った」という証言だと判断したという事です。

イエス様は、ありもしない偽りの証言によって、イエス様を断罪しようとする人々の証言を聞いても、黙り続けるイエス様に、「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか」と言いました。大祭司は二人の者たちの証言が意味するところを、ずばりと尋ねたのです。しかも、「生ける神に誓って我々に答えよ」と発言することを強要したのです。

この大祭司の言葉を受けて、イエス様はこう言われました。「それは、あなたが言ったことです」。ここでイエス様は、生ける神に誓ってもおられませんし、御自分が神の子であるとも、メシアであるとも言われておりません。「お前は神の子、メシアなのか」という大祭司の言葉を受けて、「それは、あなたが言ったことです」と答えただけです。

このイエス様の御言葉は、相手に問いを投げ返すか、間接的に答えることを拒否する言い方です。なぜなら、イエス様は、大祭司が思い描くようなメシアではなかったからです。大祭司やそのほかのユダヤ人たちが思い描くメシアとは、軍事力によってローマの支配からイスラエルを解放する政治的、民族主義的なメシアでした。イエス様の言動は、彼らが思い描いていたものとはかけ離れていたのです。

祈り

天の父なる神様、大祭司をはじめとするユダヤ人たちは、かねてからイエス様を殺害しようと企てていましたが、そのための絶好の機会を得たという思いで、イエス・キリストを裁判にかけて、やがてポンテオ.ピラトによって十字架につけられることになりました。キリストを十字架につけるという計り知れない罪を犯しても、それとは気づかない人間の罪深さを感じさせられます。このような罪人を救うためにイエス・キリストをお遣わしくださった恵みを感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。