14:14 わたしが異言で祈る場合、それはわたしの霊が祈っているのですが、理性は実を結びません。

 14:15 では、どうしたらよいのでしょうか。霊で祈り、理性でも祈ることにしましょう。霊で賛美し、理性でも賛美することにしましょう。

 14:16 さもなければ、仮にあなたが霊で賛美の祈りを唱えても、教会に来て間もない人は、どうしてあなたの感謝に「アーメン」と言えるでしょうか。あなたが何を言っているのか、彼には分からないからです。

 

パウロは異言の賜物を与えられておりましたから、自分の体験として、異言について語ることができました。彼が実際に異言で話したときの相手の反応や、彼の異言の言葉によって相手の徳が高められたり、神の御心を知ることが出来るようになったり、信仰が強められたりしたのかというと、そうではなかったようです。

 

相手にはパウロが何を言っているのか分からなかったからです。パウロは、「わたしが異言で祈る場合、それはわたしの霊が祈っているのですが、理性は実を結びません。」と述べています。舌の方は何らかの音を出しているのですが、それは相手に分かるような言語として伝わることがないのです。

 

霊によって語っていても理性とは別々のような状態になっているのです。あくまでも相手に分かるようになるために、「霊で祈り、理性でも祈ることにしましょう。霊で賛美し、理性でも賛美することにしましょう。」と述べています。

 

祈り

 

天の父なる神様、相手に伝わる言葉で話すことの重要性を教えられます。同じ日本語で話すとしてもうまく伝わらないことがあります。気持ちや思い、言おうとしていることを正しく正確に分かるようにお伝えすることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。