15:33 思い違いをしてはいけない。「悪いつきあいは、良い習慣を台なしにする」のです。

 15:34 正気になって身を正しなさい。罪を犯してはならない。神について何も知らない人がいるからです。わたしがこう言うのは、あなたがたを恥じ入らせるためです。

 

先に述べてきたように、コリントの町は、商業的には栄えた町でしたが、ローマ帝国の支配下にあり、偶像の神々が祀られたり、利益を優先する世俗主義の思想があり、みだらな行いも各地で行われており、教会にもそのような影響を受けた人たちがいたことが分かります。

 

それに対して、パウロは、「悪いつきあいは、良い習慣を台なしにする。正気になって身を正しなさい。罪を犯してはならない。」と述べています。「正気になる」という言葉で思い起こされるのは、主イエスがお語りになった「放蕩息子」のたとえ話の中で、弟息子が、財産を使い果たして、おなかがすいて、豚の食べるイナゴマメを見ていた時に、彼はわれに返って「お父さんのところに帰ろう」と決心するようになりました。

 

このわれに返るという言葉は、正気になるという事なのです。正気になって、自分自身にも神様に対しても正直になって自分の罪を認めることが出来るようになって、神により頼むようになるのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたの導きによって、自分自身を取り戻し、自分自身にも神様に対しても正直になってあなたと共に歩み続けることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。