15:14 何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。

15:15 それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。

15:16 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。

15:17 そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。

15:18 ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。

15:19 もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』

 

すべてを御金に換えて遠い国に旅立った弟息子は、たくさんのお金を持っていましたから、「飲めや歌え」と自分が今までやりたいと思っていたことをお金を使って実現していったのです。

 

箴言11章28節には、「富に依存する者は倒れる。神に従う人は木の葉のように茂る。

」と言われていますが、この時の弟息子は富に依存する者でした。富があれば何でもできるかのような錯覚をしていたようです。

 

毎日ぜいたくな暮らしをしていたために富も少なくなり、おまけに飢饉になって、彼は食べるものにも困り始めたのです。

 

豚飼いというユダヤ人たちには忌み嫌われるような仕事をするようになりましたが、このような状態になった時、彼は父親の家で暮らしていた時のことを思い出し、自分の罪を自覚し、父親のもとに帰ろうと決心するのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、富は生活のために必要なものですが、富に依存することは、富を偶像化してしまうことです。お金さえあればどんなことでもできるように思ってしまうことがあるかもしれませんが、箴言には、「何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。」というみ言葉もあります。私たちの心が真実の意味で命を希求するものでありますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。