5:25 そのとき、人が来て、「御覧ください。あなたがたが牢に入れた者たちが、境内にいて民衆に教えています」と告げた。
5:26 そこで、守衛長は下役を率いて出て行き、使徒たちを引き立てて来た。しかし、民衆に石を投げつけられるのを恐れて、手荒なことはしなかった。
使徒たちは、いつものように、いや、いつもよりも早くから、神殿で民衆を教えていたのです。使徒たちは、捕らえられることを少しも恐れず、堂々と神殿の境内に立ち、命の言葉を語り続けたのです。
そこで、神殿守衛長は、下役たちを率いて、再度、使徒たちを捕らえるために出て行きました。しかし、彼らは民衆に石を投げつけられるのを恐れて、手荒なことはしませんでした。石を投げつけるというのは、ユダヤの処刑方法ですが、これは神を冒涜する罪に対する刑罰です。
ルカによる福音書の20章に、イエス様が神殿の境内で民衆に教えていると、祭司長や律法学者たちが、長老たちと一緒に近づいて来て、「何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのはだれか。」と問うたことが記されています。
それに対してイエス様は、「では、わたしも一つ尋ねるから、それに答えなさい。ヨハネの洗礼は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。」そこで、彼らはこう相談します。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。『人からのものだ』と言えば、民衆はこぞって我々を石で殺すだろう。ヨハネを預言者だと信じ込んでいるのだから。」
ここに、今日の御言葉と同じ「民衆から石を投げつけられる」という事が言われています。そして、それは、ちょうど民衆がヨハネを預言者と信じていたように、使徒たちを、主から遣わされた者と考えていたことが示されています。神殿守衛長たちは、民衆が使徒たちを神の権威を帯びる者として、預言者のように敬っていたことをよく知っていたのです。
祈り
天の父なる神様、もう二度とイエス・キリストのことを伝えてはならないと脅されて釈放した後も、弟子たちは主の天使に促されて直ちに福音を宣べ伝えました。彼らは困難な事態にあっても主が守り導いて下さることを知って、人に従うよりも神に従う道を選んだのでした。私たちもそのように生きることが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。