22:4 そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』
22:5 しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、
22:6 また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。
ぶどう園と農夫のたとえでは、農夫たちは主人の使いのものを殺害し、主人の一人息子さえも殺害してしまいましたが、このたとえでも主人が王子の婚宴に招くために家来たちを遣わしましたが、招かれた人たちはこの招きを無視したばかりではなく、家来たちに乱暴し殺害してしまいます。
婚宴に招かれることはとてもありがたく光栄なことなのに彼らは無視しているのです。祭司長たちや律法学者たちは、ユダの地ベツレヘムから、神の民イスラエルの牧者が現れることを、占星術の学者たちに告げながら、自分たちはベツレヘムへ行こうとはしませんでした。
この祭司長たちや律法学者たちの姿勢、態度は、イエス様が大人になって、宣教を始められてからも変わりませんでした。彼らは聖書に記されている預言の言葉をよく知っておりながら、その預言が実現しても、無関心なのです。彼らは神様が与えようとしておられる天の国の祝福に関心がありませんでした。
それよりも彼らにとって、畑や商売に出かけることの方が大切だったのです。「彼らは神様ではなく富に仕えていたからだ」ともいえるでしょう。イエス様は、山上の説教において、「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」と言われましたが、招かれた人々(イスラエルの指導者たち)は、王の招きを無視し、畑や商売に出かけました。それは彼らが神ではなくて、富に仕えていたことを表しています。
また、彼らは無視するだけではなくて、王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまいました。旧約時代の預言者たちも、イエス・キリストとその弟子たちもこうした苦難を経験したのです。
祈り
天の父なる神様、イスラエルの指導者であった祭司長たちや律法学者たちは、神様がお遣わしになった預言者であるバプテスマのヨハネに聞こうとせず、イエス・キリストをも受け入れようとはしないで殺害してしまうような者でした。この世の指導者たちは今もそのような傾向にあることを思いますが、私たちはあなたのみ言葉を聞き、あなたの恵みと導きを素直に受け止めて生きる者とならせてください。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。