いずれにせよ、主においては、男なしに女はなく、女なしに男はありません。それは女が男から出たように、男も女から生まれ、また、すべてのものが神から出ているからです。コリント人への手紙第一11:11-12
とはいえ、主にあっては、女は男を離れてあるものではなく、男も女を離れてあるものではありません。女が男をもとにして造られたように、同様に、男も女によって生まれるのだからです。しかし、すべては神から発しています。

植物にはおしべとめしべがあり、動物には雄と雌がいます。人間にも男と女が存在しているのですが、これは偶然にそうなっているのではなく、神がそのように、人間を男と女とに創造してくださったからこそ、そのように存在しているのです。

 

ユダヤ人の男性は次のように祈るといいます。「私が異邦人に生まれてこなかったことを感謝します。また女に生まれてこなかったことを感謝します。」おやおや、あなたは女性から生まれてきたのではなかったのですか?と聞きたくなります。男性と女性は、お互いに助け合うものとして存在し、男性と女性、その両者がいてこそ完成された人間の社会が生まれるのです。「男なしに女はなく、女なしに男はありません。」と言われているとおりです。

イエスさまもユダヤ人でしたが、先に挙げたような祈りはなさらなかったでしょう。新約聖書の後半には互いにという言葉がたくさん使われています。たとえば以下の聖句など、「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。ペテロ4:8~10
愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。Ⅰヨハネ4:7~8」

 

このように「互いに」という言葉が多く使われていますが、その中において男女の差というものは全くありません。男性と女性は、身体においても、それぞれの役割においても異なっている面はありますが、基本的な人間としての差というものはないといえます。人権という面においても、男性と女性における差異はありません。

 

私たち人間の社会においては、例えば婦人参政権が日本において認められたのは、1945年でした。最近では、東京医科大が医学部医学科の入試で、女子受験生の得点を一律に減点し、合格者数を抑えていた。というニュースがありました。このような差別はあってはならないことです。

 

祈り

 

天の父なる神様、男だけ、あるいは女だけの社会というものは不自然なものです。男性と女性が助け合い、支え合い、愛し合って共に暮らす社会を与えてくださることを感謝いたします。いのちを育み、共に生きる社会を創っていくことができますようにお導きください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。