26:8 弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「なぜ、こんな無駄遣いをするのか。
26:9 高く売って、貧しい人々に施すことができたのに。」
26:10 イエスはこれを知って言われた。「なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。
26:11 貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。
26:12 この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。

26:13 はっきり言っておく。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」

ある女性がイエス様に対して高価な香油を注いだことを見て、弟子たちは憤慨してこう言いました。「なぜ、こんな無駄遣いをするのか。高く売って、貧しい人々に施すことができたのに」。極めて高価な香油は、女の持ち物なのですから、自由にしてよいはずですが、弟子たちは、「無駄遣いだ」と女を責めたのです。

それを知ってイエス様はこう言われました。「なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう」。

イエス様は貧しい人々に施すことを軽んじておられるわけではありません。イエス様は、「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいる」と言われていますが、この御言葉は申命記の15章11節を背景にしています。申命記15章11節にはこう記されています。

「この国から貧しい者がいなくなることはないであろう。それゆえ、わたしはあなたに命じる。この国に住む同胞のうち、生活に苦しむ貧しい者に手を大きく開きなさい」。この神の掟を前提にしつつ、イエス様は、「貧しい人はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない」と言われたのです。

そのように、御自分に対する女性の行為を「良いこと」として受け入れてくださったのです。女性がした良いこと、それはイエス様の体に香油を注いで、イエス様を葬る準備をしてくれたことでした。「この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた」とイエス様は言われたのです。

この御言葉を聞いて、女性は驚いたと思います。女は、客人を歓迎する当時の慣習に従って、自分ができるかぎりのことをイエス様にしただけです。彼女はイエス様への愛から自分ができる最大限のことをしたのです。しかし、イエス様はそれを御自分の葬りの準備だと言われました。そのような良いことを女はしてくれたのだと言われたのです。

祈り

天の父なる神様、罪びとと言われていたある女性の行為を、イエス様は受け入れて下さり、自分の葬りの準備をしてくれたのだと言われました。イエス様は彼女の心をご覧になってその思いを受け止めてくださったと思います。あなたへの真心をもって主と共に歩み続けることが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。