1:19 わたしたち、つまり、わたしとシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子イエス・キリストは、「然り」と同時に「否」となったような方ではありません。この方においては「然り」だけが実現したのです。
1:20 神の約束は、ことごとくこの方において「然り」となったからです。それで、わたしたちは神をたたえるため、この方を通して「アーメン」と唱えます。
18節においてパウロは、「神は真実な方です。だから、あなたがたに向けたわたしたちの言葉は、「然り」であると同時に「否」であるというものではありません。」と語りましたが、今日の聖句においても同じことを繰り返しています。
「わたしとシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子イエス・キリストは、「然り」と同時に「否」となったような方ではありません。」というのは、パウロがシルワノとテモテを通じてコリントの教会に語った言葉(コリント信徒への第1の手紙)は、神の子イエス・キリストの言葉であり、神の言葉、イエス・キリストの言葉に他ならないというのです。
神様は、これまでにも、例えば、モーセやダビデなど具体的な人間を通して神の言葉をお語りになりましたが、この時代には使徒たちによって、私たちに語っておられるというのです。
祈り
天の父なる神様、私たちに救いの御業を成就し、み言葉が与えられ、聖霊が与えられて、あなたのみ言葉を信じる信仰が与えられている恵みを感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。