民全員は、雷鳴がとどろき、稲妻が光り、角笛の音が鳴り響いて、山が煙に包まれる有様を見た。民は見て恐れ、遠く離れて立ち、モーセに言った。「あなたがわたしたちに語ってください。わたしたちは聞きます。神がわたしたちにお語りにならないようにしてください。そうでないと、わたしたちは死んでしまいます。」出エジプト記20:19

民はみな、雷と、いなずま、角笛の音と、煙る山を目撃した。民は見て、たじろぎ、遠く離れて立った。彼らはモーセに言った。「どうか、私たちに話してください。私たちは聞き従います。しかし、神が私たちにお話しにならないように。私たちが死ぬといけませんから。」(新改訳)

 

これは、モーセを通して、神が十戒をお与えになった直後の出来事です。

稲妻が光り、雷が鳴り響いて、近くに落ちたときなど、生きた心地がしませんね。恐れを感じ、いのちの危険を感じます。イスラエルの民が神から十戒を与えられた時も、そのようなことが起こり、民は見て恐れ、遠く離れて立ったと言われています。

 

そして言うのです。モーセが神の言葉を私たちに伝えてくれるなら私たちはそれに聞き従います。しかし、神が直接私たちに語らないようにしてください。そうでないと私たちは死んでしまいます。

 

罪を持った人々にとって、直接神の言葉を聞くことは恐れを引き起こします。それはちょうど雷に打たれるように、罪人は神の前に立つことができない事を思い知らされるのです。

 

アダムとエバが罪を犯した直後も、人々は神のもとを離れて、逃げ隠れていたことが分かりますが、しかし人は神なしには生きていくことが出来ない存在なのです。神によって生かされている一人ひとりです。ところが罪のために、神との関係が損なわれてしまっている現実があるのです。

 

私たちが本質的な意味で生きていくために必要なことは、神との関係が回復されていくことです。そのために神は、独り子イエス・キリストを人としてこの世にお遣わしくださり、イエス・キリストご自身の命を私たちの身代わりに捧げて罪のあがないを実現してくださいました。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたの前に立つことも近づくことも出来なかった私たちのために、主イエスを与えてくださった恵みを感謝いたします。あなたの恵みのうちに生きる者とならせてください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。