10:15 わたしはあなたがたを分別ある者と考えて話します。わたしの言うことを自分で判断しなさい。
10:16 わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。
10:17 パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです。
プロテスタントの教会では、主の日の礼拝において聖さん式を行います。これは、イエス・キリストが最後の晩餐の時に弟子たちを前にしてパンとぶどう酒を共に味わうとともに、やがてご自分が十字架におかかりになることを覚えて次のように言われて制定されたものです。
「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」(マタイ26章26~28節)
キリストの教会に連なる者は、私たちを罪と死の中から救い出し、十字架によってその罪を贖って下さった事を覚えつつパンとぶどう酒を共にいただくのです。16節で「あずかる」と言われている言葉は、「交わり」を意味する言葉です。それは、私たちの罪のために肉を裂き、血を流してくださったイエス・キリストとの交わりと意味しているのです。
そして、キリストの体であるひとつのパンを食べている私たちは、キリストにある一つの共同体なのです。
祈り
天の父なる神様、イエス・キリストが弟子たちにお命じになり制定してくださった聖さん式は、その後もキリスト教会によって行われており、イエス・キリストの十字架の苦しみとその意味を覚え続ける大切な機会となっています。主は聖さん式において共にいて下さり、同じくキリストを主と仰ぐ人たちの交わりを生み出してくださっています。神との交わり、そして教会の交わりが主にあって豊かに導かれますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。