「そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」イザヤ6章8節

 

神はイザヤに向けて声をかけられたのではありません。イザヤは「だれを遣わそうか」という神の声をふと耳にして、「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」と応えたのです。このように、神の召命は、特定の人にではなく、すべての人に対するものなのです。

 

神は、あらゆる人にそのメッセージを述べておられますが、私たちの方でそれを聞き分ける耳を持っているでしょうか。ヨハネの福音書10章には、「門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。」(ヨハネ10:3~4)と言われています。

 

これは羊飼いとの関係が良好な羊の場合のことですが、私たちの羊飼いである神様との関係は良好な関係を持ちえているでしょうか。神の召命の声を聞くかどうかは、その人の心の状態にかかっています。「招待される者は多いが、選ばれる者は少ない」とあるように、選ばれた者であることを証明できる者は、少ないといえます。彼らは、イエス・キリストによって神に正しく結び付いている者です。

 

主イエスが彼らを変えてくださったので、彼らは「だれを遣わそうか」という小さな声をも聞き分けることができたのです。

神は、聖書が完結した今日では聖書のみ言葉によって私たちに語られます。そして、この言葉に応えていく人を招いておられるのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、羊が自分の羊飼いの声に聞き従うように、あなたの御声を聞き、その御声に従うことが出来ますように、聖霊を豊かに注いで私をお導きください。イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。