9:9 約束の言葉は、「来年の今ごろに、わたしは来る。そして、サラには男の子が生まれる」というものでした。

 9:10 それだけではなく、リベカが、一人の人、つまりわたしたちの父イサクによって身ごもった場合にも、同じことが言えます。

 9:11 -12その子供たちがまだ生まれもせず、善いことも悪いこともしていないのに、「兄は弟に仕えるであろう」とリベカに告げられました。それは、自由な選びによる神の計画が人の行いにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。

 9:13 「わたしはヤコブを愛し、/エサウを憎んだ」と書いてあるとおりです。

 

神様は、アブラハムに、あなたの子孫からすべての民を祝福するものが出る。あなたの子孫は海の砂、空の星のようになると言われましたが、アブラハムにはなかなか子供が生まれませんでした。そのために女奴隷によって子供をもうけるということもしてきましたが、神様は、女奴隷ではなくアブラハムの正妻であるサラによって子供が産まれると言われ、その通りに実現しました。

 

これは、神がアブラハムの子孫として女奴隷の子供であるイシマエルではなく、サラによって生まれたイサクをお選びになったということを表しています。また、イサクとリベカには双子の息子ヤコブとエサウがいました。兄がエサウでしたが、神はアブラハム、イサクと続いてきた神の祝福を受け継ぐものとして弟のヤコブを選ばれたのです。

 

このように神の祝福にあずかる者を、神ご自身がお選びになり、彼らが神への信仰に導かれ神に聞き従う者とされていくという神の主権的な選びということが今日のみ言葉には記されています。それは「自由な選びによる神の計画が人の行いにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。」と言われているとおりです。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたが導いて下さらなければ、私たちはまことの神を知らず、神の恵みも愛も知らないままに、自分のやりたいように生活している者でしたが、あなたによって選ばれ、神と共に生きるように導かれた恵みを感謝いたします。あなたの恵みのうちに生きることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。