9:34 ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。

9:35 すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。

9:36 その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。

 

山の上でイエスの姿が変わり、モーセとエリアが、イエス様の最期について話しているのを弟子たちは聞きましたが、この経験は彼らにとっても生涯忘れることの出来ないものであったに違いありません。

 

この時、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえました。同じことは、イエス様がバプテスマのヨハネから洗礼を受けた時にも聞こえましたが、これはイエス様ご自身が、ご自分は父なる神と親密な関係にあり、父の意思をそのまま行うものであることを告げておられたことに呼応しています。

 

父なる神と同じことが出来るのは、ご自身が神であることを表しています。天から、神の声が聞こえた時、弟子たちは恐れましたが、この出来事は、イエス・キリストがどのようなお方であるかということを私たちに教えています。

 

祈り

 

天の父なる神様、三人の弟子たちは、忘れることの出来ない光景を目にすることが出来ましたが、そこには神からの選びがあったことを思います。そしてあなたは私たちをもこの世から選び出して、神と共に生きる者としてくださっていることを心より感謝いたします。ダビデは、「ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り/主を仰ぎ望んで喜びを得/その宮で朝を迎えることを。」(詩編27編4節)と歌いましたが、ダビデと同じ願いをもってあなたと共に歩み続けることが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。