16:9 モーセがアロンに、「あなたはイスラエルの人々の共同体全体に向かって、主があなたたちの不平を聞かれたから、主の前に集まれと命じなさい」と言うと、

16:10 アロンはイスラエルの人々の共同体全体にそのことを命じた。彼らが荒れ野の方を見ると、見よ、主の栄光が雲の中に現れた。

16:11 主はモーセに仰せになった。

16:12 「わたしは、イスラエルの人々の不平を聞いた。彼らに伝えるがよい。『あなたたちは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹する。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であることを知るようになる』と。」

16:13 夕方になると、うずらが飛んで来て、宿営を覆い、朝には宿営の周りに露が降りた。

 

16:14 この降りた露が蒸発すると、見よ、荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた。

 

イスラエルの人々は、モーセとアロンに、「私たちを荒野に導いて飢えさせるつもりか」と不平を言いました。しかし、神は彼らの必要をご存知で、その必要を満たしてくださいます。

 

彼らが不平不満を言って訴えたからマナが降ってきたわけでも鶉が飛んできたわけでもありません。神が彼らを荒野に導いたのには目的がありました。神が導かれたからには、神が彼らを生かし、彼らを養ってくださることを彼らに身をもって教えるためでした。

 

アブラハムは、イサクを捧げるように命じられた時、神に従ってイサクを捧げようとしました。それは彼の信仰を試すためであったと言われています。荒野においても神に対する信仰が求められていたのです。

 

約束の地を求めて荒野を行く生活は、私たちのこの世の人生を表すものでもあります。まだ約束の地に入ってはいないけれども、神の導きを信じて寄留者のようにこの世の人生を生きるのです。その姿は、ヘブライ人への手紙11章に記されているとおりです。

 

祈り

 

天の父なる神様、荒野の生活において、あなたは私たちを導き養ってくださる唯一の主であることを教えてくださいました。それと共に約束の地を用意していてくださることも教えて下さり、やがてイエス・キリストによってそのことをさらにはっきりと示してくださいました。私たちも約束の地を目指して主に在ってその御心のうちに歩み続けることが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。