19:7 すると、彼らはイエスに言った。「では、なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか。」
19:8 イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。
19:9 言っておくが、不法な結婚でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする者は、姦通の罪を犯すことになる。」
離縁することは神の御心ではないと言われたイエス様に対して、ファリサイ派の人々は、こう尋ねました。「では、なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか」。ここで彼らは申命記の24章1節の御言葉を背景にして語っています。申命記の24章1節には、「人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる」。
ファリサイ派の人々は、この御言葉から、「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは律法に適っている」と考えていたのです。ファリサイ派の人々は、イエス様に、「あなたは、『神が結び合わせてくださったものを、人は離してならない』と言うけれども、モーセは離縁状を渡して離縁するように命じているではないですか」と言うのです。
それに対して、イエス様は「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない」と言われました。なぜ、主が結び合わせてくださった結婚生活を続けることができないのか?といえば、イエス様は、「あなたたちの心が頑固だからだ」と言われます。
神様が配偶者を自分の助け手として与えてくださったと信じることができない頑なな心が離縁の原因であるというのです。神様に対しても、また配偶者に対しても心が頑なになってしまう。これはアダムの最初の違反によって良き創造の状態から堕落した私たちの現実です。その私たちの罪のゆえに、モーセは妻を離縁することを許したのです。
しかし、初めからそうであったわけではありません。イエス様は、罪に堕落した世にあっても、離縁を一切禁じられたかと言えば、そうではありません。イエス様は、「不法な結婚」の場合は離縁することを許されたのです。
祈り
天の父なる神様、あなたによって与えられた結婚の神聖さを覚えて、結婚関係、家族関係をよきものとして歩み続けることが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。