3:1 ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。

 3:2 すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。

 3:3 彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。

 

ユダヤ人は、朝の9時とお昼の正午、そして午後3時と一日に3回祈りました。この3時というのは神殿でいけにえがささげられたので、敬虔なエルサレムの市民の人々は、神殿に行って祈りをささげていました。この時はかなり多くの人々が神殿に集まってきていたと思われます。

 

ペトロとヨハネが午後3時の祈りのために神殿に行くと、生まれながらに足の不自由な人が物乞いをしていました。ここには「運ばれてきた」と言われていますから、家族の者か友人か分かりませんが、おそらくその方のお世話をしていた人によって神殿の「美しい門」と言われるところに毎日運ばれてきていたようです。

 

「美しの門」が神殿のどの門であったのかは分かりませんが、おそらく異邦人の庭から婦人の庭に通じる「ニカノル」と呼ばれる門のことだったのではないかと考えられています。ユダヤ人の歴史家であるヨセフスによると、この門はコリント産の真鍮で造られていて、金銀でおおわれたものよりもはるかに美しい門であったと言われています。

 

この人は、足が不自由で歩くことが出来なかったので、通常の仕事を行うことは出来ずに、神殿の門のところで物乞いをして生計を立てているという人であったようです。

 

祈り

 

天の父なる神様、イエス様もそうですが、使徒たちの場合も障碍を負った人や、生活困窮者など、この世界ではあまり顧みられることのない人々のことがよく出てきます。神様は人々の苦しみや痛みをご存知であり、また人々を分け隔てすることもないお方であることが分かります。どの人にも神様の救いの恵みが知られるようになり、救われる人々が起こされますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。