14:31 また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。
14:32 もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。
14:33 だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」
ここでイエス様が述べておられることは、キリストの弟子になるための条件ということについてです。その第一は、優先順位ということについてでした。イエス・キリストを第一にする、すなわち私の主人として生きるということでした。
第二は、自分の十字架を負って従うということでした。キリストに従うためには片手間で従おうとするようなことではなく、自分の命を懸けて従うということでした。
そして第三に、自分の持ち物の一切を捨てて従うということです。当時のイエス様の弟子たちも、初代の教会のクリスチャンたちもそのように生きたことが分かります。
一切の持ち物を捨ててしまうということは、神にすべてを信頼し、委ねるという信仰が求められています。
これらの3つは、いずれも「捨てる」ことが語られていることが分かります。今日の聖句で言えば、「捨ててしまったら戦えないじゃないか。」と私たちは思うかもしれません。しかし実際は逆であって、捨てて従う者を神は守り導いてくださるということを、実は聖書の全体を通して教えられているのです。神は生きて働いておられるからです。
十字架に架かることをイエス様がお語りになった時、ペトロはそんなことがあってはなりません。とそれをいさめましたが、その時イエス様がペトロに言われたのは次の言葉でした。
それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。(マルコによる福音書8:34~35)
祈り
天の父なる神様、あなたは私たちのために、すべてのよきものを与えてくださるお方です。この体や魂が生きるために必要なものをお与えくださり、あなたのひとり子をもお与えくださいました。そして聖霊によって今日も守り導いてくださることを感謝いたします。
あなたが自分を捨てて父なる神に従われたように、私たちも自分を捨ててあなたに従うことが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。