行って、エルサレムの人々に呼びかけ/耳を傾けさせよ。主はこう言われる。わたしは、あなたの若いときの真心/花嫁のときの愛/種蒔かれぬ地、荒れ野での従順を思い起こす。エレミヤ2章2節
「さあ、行って、主はこう仰せられると言って、エルサレムの人々の耳に呼ばわれ。わたしは、あなたの若かったころの誠実、婚約時代の愛、荒野の種も蒔かれていない地でのわたしへの従順を覚えている。(新改訳)
「あなたの若いときの真心/花嫁のときの愛/種蒔かれぬ地、荒れ野での従順を思い起こす。」と言われています。イスラエルの歴史を見るとき、やはり念頭に浮かぶのは、信仰の父アブラハムでしょう。彼は神様から、住み慣れた都会であるウルの地を出て、まだ行ったこともなく、どんなところであるのかも分からないカナンの地に行けと言われたとき、神の言葉に従って出かけていきました。
「主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」」(創世記12:1~3)
この約束の通りに、神は、アブラハム、イサク、ヤコブという族長たちを祝福し、導いてくださったのでした。族長たちは、ときに失敗を犯すこともありましたが、神に聞き従う人たちであり、神は彼らを祝福してくださいました。しかしその後のイスラエルの歴史は、数々の不信仰や背きの罪のために、「バビロン捕囚」という神の裁きを経験することにもなるのです。
「あなたの若いときの真心」という言葉を読む時、私は、主イエスが、幼子を抱いて言われた言葉を思い起こします。「弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」(マタイ18:1~5)
祈り
天の父なる神様、幼子のようにあなたを受け入れることが出来ますように、私たちの心が砕かれ、へりくだってあなたに求めるものでありますように、お守り、お導きください。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。